2011年09月05日

静岡県浜松市 西光院住職 桐畑守昌 老師 「正しく聴き、正しく伝え、正しく行う」


 先の未曾有の震災から半年がたちました。震災直後から日本国内海外から多くの救援援助、ボランティア等多くの方々の迅速な行動に感動しました。私もボランティア活動に参加したいのですが、足に障害が有る為現地に赴くことが出来ません。毎日歯がゆい思いで新聞やニュースから意識を離さないようにしています。今自分に出来ることを模索し、朝のお勤めでの供養、托鉢などで遠くの地域よりの行をさせて頂いています。
 以前、テレビであるキャスターが「情けは人の為ならず」という昔から伝わることわざを全く違う意味で使っているのを聞きました。人に情けをかけると、その情けを受けた人はそれに甘えて今以上成長も前進も出来なくなるから、早々に情けをかけてはいけないと言うのです。本来は他の人に良い行いをすると、後に自分自身に何かしらその報いがありますよ、という意味です。ところで、このことわざだけでなく他の言葉でも正しい使い方が出来ているでしょうか?私たちを取り巻くあらゆる環境の影響もあるかもしれませんが、今異常なほど日本語が乱れているように感じます。
 道元禅師様の教えに「利行」という教えがあります。この利行とは、自分を空しくして他の利益をはかる行為、自分を後にして他を先にするはからいという教えです。簡単に申せば、ありがとうを求めずに他の人々に喜んでいただく自己の行い、といって良いでしょう。
 この利行の教えを正しく聴き、周囲の人々に正しく伝え、どのような形でも良いですから行動を起こしましょう。一時的な支援活動ではなく被災された方々から多くの笑顔が戻る時までこの教えの実践を致しましょう。
がんばろう日本!
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 桐畑守昌 老師

2010年12月27日

愛知県一宮市 成福寺住職 久馬慧忠 老師 「良寛の最後」


 今年は良寛さまが亡くなってから180年の節目の年です。
 年明けて正月六日の夕暮、坐禅のお姿のまま静かに息を引きとられたようです。
弟子貞心尼のことばによれば「師 病中さのみ御なやみもなく ねむるが如く座化し玉ひ」といわれますから、安らかな御最後だったと推測します。良寛さまの74年の長い生涯は、道元禅師の只管打坐という、ただ坐る坐禅を一人黙々と励んでこられた後ろ姿が目に浮んできます。何も考えないで只坐ることは簡単そうでその実は難しいものです。
 しかも、いつも一人で坐禅する事は根気のいる努力が必要です。良寛さまのご病状はもうすでに直腸ガンも末期です。しかも亡くなる一週間前のこの年末ではさぞかしどんなにかつらい毎日であったことか私はただ推測するのみです。それでもその苦痛の中でも「ぬば玉の夜はすがらに くそまり明かし あからひく昼は厠に 走りあへなくに」とよんでおられます。暗い夜は夜通し下痢はするし、明るい昼はお便所へ走っても間に合わない、とありのままを歌によむとはさすが最後まで冷静であったと感服いたします。また別の歌では「こいまろび 明かしかねけり ながきこの夜を」ともいわれますから 苦しみのあまり一晩中七転八倒しておられるお姿も見えてきます。そしていよいよ最後息を引きとられる寸前で貞心尼が「生き死にの界はなれて住む身にもさらぬわかれのあるぞ悲しき」とよまれると早速息も絶え絶えにかすれた声で「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」とかえされたのがこの世の最後のお姿でありことばです。誰しも裏もあり表もある人生、長い人生もあればあっけない短い人生とさまざまです。道元禅師は「生死は仏の御いのちなり」と申されますから裏も表も尊い人生のひとこまです。うらを見せおもてを見せてちるもみぢ。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 久馬慧忠 老師