2012年08月20日

静岡県静岡市 歓昌院副住職 前島慎司 師「同時というは不違なり」


 幼稚園や保育園で話を聞いたら、大人でありながら、子どもの立場になって世話をするのが理想なのだそうです。
同時ということの日常的な一例でしょう。
私が小学生の時のことです。山へ遊びに行きました。少し遠いところだったので、おやつにハンバーガーと一つ持って行きました。ちなみに一つ150円でした。当時、小学生の私にとっては、とても高価なおやつでした。山へ着いて間もなく、一人の大人の女性が私の所に向かってきました。そして、私のハンバーガーを見るなり、欲しいというのです。何も食べてなくて、半分でいいからと言うのです。私は半分ならと思い、ハンバーガーを渡すと女性は、すぐに全部食べてしまいました。さらにお礼をいう訳でもなく、山を下りて行ってしましました。

同時とは、他の人と自分が同じ立場に立つことです。他人を自分の身に引き当てて考えることです。また、自分と他人を同じ立場で考える慈悲の働きでもあります。
しかし、さらにいうなら、お釈迦様の教えの中で生きていく中で、自分にも他人にも特別なものを作らない、ということではないでしょうか。先ほどの山で合った女性と私の間には、その特別なものがありませんでした。だからこそ、ハンバーガーを渡すことが出来たのだと思います。もし、その女性を私が知っていて、嫌いな人であったり、お互いに対立関係でもあれば、ハンバーガーを渡すことは出来なかったでしょう。

仏教と共に生きていく中で、他人と共に生き、自分を偉ぶったりしない、また、他人を見下すことをしない姿勢、それこそ道元禅師様は、「自分にも他人にも不違なり」といわれているものです。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 前島慎司 師