2013年07月29日

静岡県観福寺住職 西垣隆英 老師 「手をあわせること」

皆さんは、お盆やお彼岸などでお寺さんをお参りしたり、お仏壇やお墓参りをされるとき、必ず手を合わせますね。また、神社でもパンパンと柏手をうって手を合わせますし、キリスト教でも指をおって手を合わせてお祈りします。「なぜ、世界中で手を合わせることが多いのだろう。」と不思議に思っておりました。
 ある時、私はお檀家さんのお宅で法事を行っているとき、数珠のひもが切れてしまいました。散らばった数珠の珠を拾い集め、失くさないようにと左手に握りしめていました。
そして、法事も最後になり、「それではみなさん最後に合掌礼拝をお願いします。」と言った私の手が合わさらなかったのです。その時はっと気付きました。「数珠を失くしたくないという私の気持ちが手を合わせられない原因なんだ。」「そうか、手を合わせるということは、一旦自分の欲を捨てないといけないんだ。」と気付きました。改めて握っていた数珠の珠を手放し、ようやく手を合わせることができました。 
よく、手の内側のしわとしわを合わせるとしわあわせ、しあわせ。だから手を合わせるということはしあわせになれるんだよ、と聞いたことがあるかと思います。では、先ほどの私が数珠の珠を握っている時はこぶしができます。こぶしは欲から離れていない象徴です。こぶしを握るとごつごつとしたふしが出てきます。ふしとふしが合わさると、ふしあわせ。「あいつめ、このやろう、くやしい」という気持ちのときは心の中にこぶしを握っています。物への執着心や、憎い憎いという心、何だかんだという愚痴の心から離れて、こぶしをほどいてみてください。そうすると手が開き、合掌することができます。
そして、自分を捨てあなたに全てお任せします。感謝いたします。という気持ちを込めて手を合わせます。欲から離れてようやく仏さまの清らかな世界へと繋がるのです。どうぞ、普段の生活でも心を落ち着かせて手を合わせてみてください。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 西垣隆英 老師

2013年07月22日

岐阜県恵那市清楽寺住職 百瀬文康 老師 「今やらないと」

今日は大本山永平寺を開かれました道元禅師様が、中国の天童寺でご修行されていた時のエピソードをご紹介します。
ある日の暑い日の出来事です。道元様がお昼の食事を済ませて、廊下を歩きながら外を見ますと、この暑い中、笠もかぶらずに椎茸を干している年老いたお坊さんが、目に留まりました。よく見ますと全身汗びっしょりです。
道元様は、思わず近づいていってお尋ねすると、このお坊さんは「典座(てんぞ)」といって、食事を作る役目のお方で、年は68歳といわれました。驚いた道元様は「この暑くて苦しい中、あなたが椎茸を干さなくても若い修行僧に頼んでやっていただいたらどうですか。」と申しますと、強い声で「他は是れ我にあらず」(他人にやってもらったのでは自分の修行にならない)とのお答え。それではと思い道元様は続けて「ではもう少し涼しくなってからおやりになったらいかがですか。」と申しますと、「更にいずれの時をか待たん」(そんなことを言うが、今やらないで、いつやる時があるのだ)といわれたのであります。
「他は是れ我にあらず」「更にいずれの時をか待たん」道元様は、68歳というお年にもかかわらず、厳しい修行をされているこの姿に心を打たれ、深く心に思うことがあったと、述べられています。
何事にも、なすべき「時機」というものがあって、それを逃すと二度と出会えないことがあります。今日という一日は、一生のうち一度しかなく貴重な時間です。このお言葉は、私たちの生き方に大きな示唆を与えるエピソードであります。どうぞ、じっくり味わってみてください。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| Comment(1) | 百瀬文康 老師