2012年10月01日

静岡県袋井市積雲院住職 鈴木雅樹 老師 「生きているからこそ葉は落ちる」  


わたくしのお寺には、たくさんのモミジの木があります。冬には立派な枝ぶりを見せていたものが、春には、葉を一杯に茂らせます。新緑の鮮やかな物、オレンジ色のもの、始めから赤く色づいたもの、色々とあります。そして、初夏には小さな可愛らしい花を咲かせ、秋になると奇麗に紅葉します。春夏秋冬、私達の目を楽しませ、豊かにさせてくれます。
 しかし、昨年は、九月に上陸した台風の影響で、たくさんの木の枝が折れ、葉っぱが飛ばされてしまいました。
「今年は奇麗な紅葉は見られないかな・・・」
と少し残念に思っていたのですが、それでも、秋がやってくると残されたモミジの葉は、どれもが紅く色づき、いつも通りの美しい紅葉で、私達の目を楽しませてくれました。
紅葉が終わり、ほとんどの葉っぱが落ちていきましたが、本堂の南側にあるモミジの木の一部の葉っぱだけは落ちずに残ったままになっていました。よく見ると、その部分だけ枝が折れていました。そして、冬がやってきて、全ての葉が落ちた時、ついにその枯れ枝の葉っぱだけは残ってしまいました。
 「あっ!」
それまでは、「葉っぱが落ちる」ということは「枯れる」ということと同じだと思っていたのですが、しかし、そうではないのだ、という事に気づかされました。
 木の葉が落ちるということは、その木が生きているからなのです。生きているから、葉を落とし、来年の養分にするのです。生きていなければ,木の葉さえ落とすことができないのです。
 人間という幹には、地位、名誉、学歴、財産、プライド、建て前などなど、さまざまな葉が生じてきます。生きていく上で必要な時もあるでしょうが、それが重荷になることもあります。そんな時、時にはその葉を落してみてはどうでしょうか。
 葉を落とすことは枯れることではありません。生きているからこそ、その葉は落とすことができるのです。落とすことで、冬を迎え、「春」を迎える準備が出来ます。そして、落とした葉、それは、きっと自分の養分となり、自分を一回りも二回りも大きくする力となることでしょう。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 鈴木雅樹 老師