2013年12月23日

静岡県 長興寺住職 森田勝准 老師「後悔の力」

 「もっと優しい言葉をかけてあげればよかった」
母親の亡骸の前で、その方は涙で声を詰まらせながら、小さな声でつぶやきました。
 家族で一緒に夕食をとったその夜、皆が眠っている間に、母親は一人息を引き取っていたそうです。けっして仲の悪い親子ではなかったようですが、突然の別れだったために、母親に対する日ごろの自分の言葉や態度を後悔されているようすでした。
 私は、涙ぐみながら後悔されているその様子に、母親に対する愛情の大きさを感じました。そして、後悔の大きさは、愛情の大きさなのだと思いました。
 私たちは、家族や友人を、思わず言葉や態度で傷つけてしまうことがあります。あとになってみると、「あんなことを言わなければよかった」「あんな態度をとらなければよかった」と後悔することも多いでしょう。
 後悔するのは、愛情があるからなのです。そして、きっと後悔したあとに思うはずです。「今度はもっと優しい言葉をかけよう、もっと優しく接しよう」と。
 もしかすると、同じ後悔を何度も繰り返すかもしれません。しかし、その後悔を繰り返しながら、人は人に優しくすることができるようになっていくのかもしれません。
 後悔は、自分の生き方を変える力に変わります。わたしたちは、後悔したときこそ、その思いを大切にしなければなりません。後悔は、私たちをより良き生き方へと後押ししてくれる大きな力なのです。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 森田勝准 老師

2013年12月09日

岐阜県 大龍寺住職 竹山玄道 老師「布施行」

人間が生活していく上で、もっとも大切なことは自分以外の人とのコミュニケーションではないでしょうか。今テレビや新聞などを騒がせている痛ましい事件の多くは、コミュニケーション不足が原因になっています。私たちは生まれてからこれまでに大変多くの人々のお世話になって、今日の生活が成り立っています。その中で幸せに日常生活を送っていくには、人とのコミュニケーションは不可欠といえるでしょう。
仏教の教えの中に「布施行」というものがあります。布施といわれると一般的には、お坊さんにお経を読んで頂いたお礼に、お金をお渡しするのがお布施、と思われている方々が多いと思います。それも先祖供養のための大変大事な「布施行」であります。しかし、実はそれ以外にも布施行は我々の日常生活の中に沢山あります。それは、自分以外の人に感謝の気持ちを抱くことです。例えば自分の為に行動して頂いたことに対して有難うという感謝の言葉を心を込めて言う事。感謝の心を伝えることで人間関係がより良いものに変わっていくはずです。言葉が恥ずかしくて言えないといわれる方は、相手に対して優しい目で微笑かけて下さい。「目は口ほどにものを言う」とも言います。嫌悪感を抱いた目と優しい目とでは相手に与える印象は随分違います。
私たちの周りには布施行を行うことのできる環境が多くあるといえます。それを実践するかどうかは自分しだいです。自分から行動する強さを日々の生活から学んでください。そうした環境づくりが整うことによって周りとのコミュニケーションが豊かなものになることでしょう。子孫が幸せなことが一番の先祖供養につながり最高の「布施行」ともなります。   
簡単なことではありますが、実はとても難しいことだと思います。当たり前の生活の中にこそ、仏の教えはあるのです。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 竹山玄道 老師

2013年10月07日

三重県 天照寺 住職朝日耕道 老師「

東日本震災の5月に女川避難所に炊きだし支援にお邪魔したとき、被災者の一人と話をしていて、近辺の島からの避難でありもと漁師をしていたとのことで、ここに避難している多くは元漁師の人が多いと聞かされ、「どうですか、私たちは三重県から来ていますが、毎日普通に食べていたお魚が食べられなくて寂しくないですか」なとど話し、「どうでしょう来月来るときにはお刺身で食べられる魚を持ってきてもいいですか? でも、私たちは調理出来ないので、是非手伝ってください。」と約束して帰りました。
早々、三重鳥羽漁協さんにお願いをして、鯛を50匹ほど提供して頂く運びとなり、避難所の代表の方と打ち合わせをして、6月女川2カ所に配る事になり、もちろん女川避難所では 鯛の刺身とあら汁を提供する事となりました。その裏側では騒動が起こっていることも知らずに、調理を担当するのは避難者の漁師さんや、奥様たちでした。調理を始めると、一人の奥さんが、なにやらぶつぶつと文句を言っているのが聞こえて来ました。「自分たちでさばけもしないのにこんな大きな鯛持ってきて」とか「こんな鯛こんな包丁でさばけるわけないでしょ」などと、結構いらいらしていたようでした。簡単に思って、被災者の方と交流しながら一緒に炊きだしが出来ると喜んでいたのですが、そうではなかったようでした。気まずい思いの中、大根をきっいると、そばで作業をしていたおじさんがぼそっと一言「何だかんだ言ってもうれしいんだ、こんな立派な鯛の刺身みんなで食えるんだもの本当は嬉しいんだ」
私は、その一言を聞いて、持ってきても良かったと思いました。避難所では、衛生管理上の問題で避難者と支援者が共同で炊きだしをしてはいけないそうです。言葉で伝えなくては伝わらない事はたくさんあります。感謝や、愛情も言葉に出して伝えなくては疑心暗鬼に成ってしまうこともあります。日本人は、言葉に出して伝える事が下手なのかもしれませんが、感謝を込めて「ありがとう」と言われると嬉しいものです。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 朝日耕道

2013年07月29日

静岡県観福寺住職 西垣隆英 老師 「手をあわせること」

皆さんは、お盆やお彼岸などでお寺さんをお参りしたり、お仏壇やお墓参りをされるとき、必ず手を合わせますね。また、神社でもパンパンと柏手をうって手を合わせますし、キリスト教でも指をおって手を合わせてお祈りします。「なぜ、世界中で手を合わせることが多いのだろう。」と不思議に思っておりました。
 ある時、私はお檀家さんのお宅で法事を行っているとき、数珠のひもが切れてしまいました。散らばった数珠の珠を拾い集め、失くさないようにと左手に握りしめていました。
そして、法事も最後になり、「それではみなさん最後に合掌礼拝をお願いします。」と言った私の手が合わさらなかったのです。その時はっと気付きました。「数珠を失くしたくないという私の気持ちが手を合わせられない原因なんだ。」「そうか、手を合わせるということは、一旦自分の欲を捨てないといけないんだ。」と気付きました。改めて握っていた数珠の珠を手放し、ようやく手を合わせることができました。 
よく、手の内側のしわとしわを合わせるとしわあわせ、しあわせ。だから手を合わせるということはしあわせになれるんだよ、と聞いたことがあるかと思います。では、先ほどの私が数珠の珠を握っている時はこぶしができます。こぶしは欲から離れていない象徴です。こぶしを握るとごつごつとしたふしが出てきます。ふしとふしが合わさると、ふしあわせ。「あいつめ、このやろう、くやしい」という気持ちのときは心の中にこぶしを握っています。物への執着心や、憎い憎いという心、何だかんだという愚痴の心から離れて、こぶしをほどいてみてください。そうすると手が開き、合掌することができます。
そして、自分を捨てあなたに全てお任せします。感謝いたします。という気持ちを込めて手を合わせます。欲から離れてようやく仏さまの清らかな世界へと繋がるのです。どうぞ、普段の生活でも心を落ち着かせて手を合わせてみてください。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| 西垣隆英 老師

2013年07月22日

岐阜県恵那市清楽寺住職 百瀬文康 老師 「今やらないと」

今日は大本山永平寺を開かれました道元禅師様が、中国の天童寺でご修行されていた時のエピソードをご紹介します。
ある日の暑い日の出来事です。道元様がお昼の食事を済ませて、廊下を歩きながら外を見ますと、この暑い中、笠もかぶらずに椎茸を干している年老いたお坊さんが、目に留まりました。よく見ますと全身汗びっしょりです。
道元様は、思わず近づいていってお尋ねすると、このお坊さんは「典座(てんぞ)」といって、食事を作る役目のお方で、年は68歳といわれました。驚いた道元様は「この暑くて苦しい中、あなたが椎茸を干さなくても若い修行僧に頼んでやっていただいたらどうですか。」と申しますと、強い声で「他は是れ我にあらず」(他人にやってもらったのでは自分の修行にならない)とのお答え。それではと思い道元様は続けて「ではもう少し涼しくなってからおやりになったらいかがですか。」と申しますと、「更にいずれの時をか待たん」(そんなことを言うが、今やらないで、いつやる時があるのだ)といわれたのであります。
「他は是れ我にあらず」「更にいずれの時をか待たん」道元様は、68歳というお年にもかかわらず、厳しい修行をされているこの姿に心を打たれ、深く心に思うことがあったと、述べられています。
何事にも、なすべき「時機」というものがあって、それを逃すと二度と出会えないことがあります。今日という一日は、一生のうち一度しかなく貴重な時間です。このお言葉は、私たちの生き方に大きな示唆を与えるエピソードであります。どうぞ、じっくり味わってみてください。
posted by 曹洞宗東海管区教化センター at 00:00| Comment(1) | 百瀬文康 老師